レオ・ブルース『死の扉』

レオ・ブルース『死の扉』

2021年12月21日

英国のとある小間物屋で深夜、二重殺人が発生。店主のエミリーと、巡回中のスラッパー巡査が犠牲となった。町にあるパブリック・スクールで歴史教師をするキャロラスは、生意気な教え子プリグリーに焚きつけられて、事件を調べることに。嫌われ者だったエミリーのせいで容疑者には事欠かないが…素人探偵の推理やいかに?イギリス屈指の名探偵、キャロラス・ディーン初登場作!

本書あらすじ

読み終えて

英国の本格ミステリ作家レオ・ブルースと言えば、海外ミステリを原書で読まれている方々の中には根強いファンが多く、最近でも同人誌(※1)で翻訳が出版されています。
※1…言わずと知れたROM(Revisit Old Mysteries)から「ROM叢書」として2020年に『冷血の死』(ROM叢書16、小林晋訳)、 2021年に『死者の靴』(ROM叢書18、小林晋訳) が出ました

今回読了した『死の扉』(1955)は1950年代に東京創元社の「現代推理小説全集」の一冊として出版(1957年、普及版は1958年)され、1960年には文庫化もしていますが一度は絶版状態になり、永い時を経て2012年に新訳版として復刊しました。
しかしながら、この新訳版も再び品切れ状態となっています。

一方で、先述の通り同人誌ではありますが、ディーンものの未訳作品が紹介されており、ビーフ巡査部長ものは不定期ではありますが、扶桑社ミステリー文庫からぽつりぽつりと刊行されています。
どちらかと言えば玄人向きのイメージが強いブルースですが、たくさんの方々のご尽力もあり、2021年現在、クラシックミステリとしては比較的手に取りやすい状況にあります。

素人探偵キャロラス・ディーンものの1作目である本作は、1952年まで続いたビーフ巡査部長ものが終了して、探偵を新たに作者が発表した作品でした。
探偵役が警察関係者から素人探偵へと変わった理由については、訳者解説にて(推測ではありますが)触れられています。
ただし、一部事件の真相にも繋がる内容が書いてあるので、解説は本文読了後に読まれることをお薦めします。

本作を読み始めてまず感じたのは、導入部に無駄がないということでした。
被害者のひとりである老婆の卑しさ、彼女の店に出入りする訳ありな容疑者たちの人となりが描かれ、もうひとりの被害者である善良な巡査が登場したと思えば早速事件が起きます。
そして、探偵役ディーンと彼の教え子で助手役のプリグリーが登場するまで、その間わずか30ページほど。

ここまでテキパキと進めていながら決して記号的にならず、読者を惹き込む筋運びは長編小説の導入部としてはとても洗練されていて好印象でした。

容疑者たちは後ろめたい何かを隠しており、捜査は一筋縄ではいきませんが、ディーンの頭脳と思いのほかアグレッシブな捜査によって、それも徐々に明らかになっていきます。
しかし、作中でディーンが何度も嘆いているように、捜査が進んでも事態は複雑なままで誰が犯人なのか分かりません。

こんな具合に、中盤はひたすらに容疑者への聞き込みが続きます。
金銭問題や恋愛絡みの線から捜査を進めるのはミステリでは定番ですが、本作は前者が大半を占めています。
こんな風に書くと退屈なのではと思われるかもしれませんが、これが何故か面白いのです。
口うるさい校長に説教される場面をはじめとして、ユーモアたっぷりで読者を楽しませてくれます。

あっという間に終盤に突入すれば、ミステリのお約束よろしく、ディーンは事件関係者を集めて真相を語り始めます。
クイーンほどの切れ味はないですが、ひとつのピースが嵌まることで残された謎がするすると解けていく面白さが十分にあります。

もちろん、全体を通して多少の不満はあります。
正直、本作を安易に「傑作」だと称するのは躊躇われます。

まず、冒頭で事件が起きることや総ページ数から、複数の事件が起きてもおかしくないですが、作品全体を通しても事件はたったのひとつ(被害者はふたり)のみです。
ミステリ読みの中には物足りなさを感じる人もいるのではないでしょうか。

また、これは作者も自覚しているはずですが、証拠が甘いという印象もあります。
先にも書いた通り、ロジックの切れもあまりないです。
良くも悪くも、ゆるい雰囲気が漂う上品なミステリとなっています。

それでも、十分に楽しめるクラシックミステリですし、リーダビリティも高いので機会があれば一読されることをお薦めします。

そういえば、作中に登場するミステリマニアのリンブリック氏が英国ミステリについて語ってくれる場面があります。
その中に出てくるE・R・パンションは相変わらず日本では未紹介の作家です。
これからに期待ですね。

特筆すべき点は何と言っても「犯人の真の狙いがジャック・スラッパーだった」という点でしょう
エミリー・パーヴィス殺害事件に偶然居合わせたがために殺されたかと思われたスラッパーが、実は本当のターゲットだったという、ふたつの殺しの関係性の反転が見事です。

また、これによって終盤まで残されていた謎、なぜ犯人はパーヴィス夫人の遺体を移動させたのかなどが自然と解けていく様も心地が良いです。

ある殺人がその他の殺人の隠れ蓑のように使われる類例は他作品でも見られますが、ここまで丸っきりひとつの殺人事件を引き起こすという例も珍しく感じます。

一方で、感想でも述べていますが、証拠が甘いとも感じました。
ディーンの語る推理は想像も多分に含まれています。
ただし、これは作者も自覚しており、作中人物につっこみを入れさせていますし、注釈で後の裁判の様子を入れているのは結果で読者を黙らせるという狙いも感じます。

ディーン自身が「(…)あとは警察の仕事です」(336ページ・創元推理文庫・2012年初版)と割り切っているのも清々しいです。
「本格度」を測るうえではマイナスに働いてしまいそうですが、このようなミステリへの意識を利用した皮肉めいた趣向は個人的には好きです。
リンブリック氏の存在も単なるミステリマニアへのファンサービス以上の役割がありそうです。
書誌データ
書 名 『死の扉』
原 題 “At Death’s Door”
著 者 レオ・ブルース
 国  イギリス
発 表 1955
出版社 東京創元社 創元推理文庫
翻訳者 小林晋