おれを力いっぱい殴ってくれ、とタイラーは言った。事の始まりはぼくの慢性不眠症だ。ちっぽけな仕事と欲しくもない家具の収集に人生を奪われかけていたからだ。ぼくらはファイト・クラブで体を殴り合い、命の痛みを確かめる。タイラーは社会に倦んだ男たちを集め、全米に広がる組織はやがて巨大な騒乱計画へと驀進する――人が生きることの病いを高らかに哄笑し、アメリカ中を熱狂させた二十世紀最強のカルト・ロマンス
本書あらすじ
読み終えて
正直言って、パラニュークを語れるほどの力量が私にはないです。
どちらかと言えば、テイラーに銃を突き付けられて「お前の夢は何だった?」と問われる側なので。
映画『ファイト・クラブ』はかなり前から好きで繰り返し何度も観ています。
(中々に腰の重い人間なので)何かをしなきゃと奮い立つというほどではないですが、それでも自分のやろうとしていることに前向きに取り組むようになります。
さて、小説版ですが、文章自体は案外親しみやすいです。
場面があっちこっちに飛ぶ構成なので読みづらさを感じる人もいるかと思いますが、映画を観ていると理解しやすいと思います。
というよりも、映画を観てなかったら、上記の急な場面転換や比喩のあれこれに、物語を正しく追えている自信がないです。
映画版は本作のバイオレンスさや猥雑さを、様々な視覚的な効果を駆使して忠実に再現しています。
そう、「忠実に再現」しているんですよね。
映画版に負けないくらい、原作小説の時点でバイオレンスさも猥雑さも、様々な小説技巧でもって表現されているんです。
パラニューク好きからすると、他の作品はこんなもんじゃないそうです。
一応、翻訳されている作品はすべて持っているので、時間を見つけて読んでいこうと思います。
ネタが割れていていても楽しく読める作品というはいいですね。
映画を先に観ているので主人公=タイラーは当然知っているわけですが、原作を読んでみると、これ隠すつもりないんじゃないかなと思うくらい、序盤からはっきり書かれているんですよね。
例えば、冒頭2ページで「ぼくがそれを知っているのは、タイラーが知っているからだ。」(文庫新版10P)なんて書かれています。
原作から入った人の感想も聞いてみたいものです。
主人公の会話はすべて地の文で書かれていた気がしたのですが、どうでしょう。
最初は章ごとに会話が、”ぼく”が会話文のときはタイラーは地の文、”ぼく”が地の文のときはタイラーは会話文となっている気がしたのですが、パラパラと読み返してみると前者のパターンはない気がしました。
映画を先に観ているので主人公=タイラーは当然知っているわけですが、原作を読んでみると、これ隠すつもりないんじゃないかなと思うくらい、序盤からはっきり書かれているんですよね。
例えば、冒頭2ページで「ぼくがそれを知っているのは、タイラーが知っているからだ。」(文庫新版10P)なんて書かれています。
原作から入った人の感想も聞いてみたいものです。
主人公の会話はすべて地の文で書かれていた気がしたのですが、どうでしょう。
最初は章ごとに会話が、”ぼく”が会話文のときはタイラーは地の文、”ぼく”が地の文のときはタイラーは会話文となっている気がしたのですが、パラパラと読み返してみると前者のパターンはない気がしました。
書誌データ | |
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書 名 | 『ファイト・クラブ』 |
原 題 | “Fight club” |
著 者 | チャック・パラニューク |
国 | アメリカ |
発 表 | 1996 |
出版社 | 早川書房 ハヤカワ文庫NV |
翻訳者 | 池田真紀子 |