チャドウィックでクリスマスに開かれるささやかな集い「あぶれ者パーティ」の様子が今年は違った。クリスマス休暇でも帰省することなく村に留まった人々で催されるこの会で、都会帰りの元モデルのシリアが近隣学校に勤めるサム先生を笑いの種にしたのだ。地元紙の社長兼編集長のジョイが機転を利かし、その場は丸く収まったかのように思われた。だが後日、学校内にあるボートハウスの秘密の部屋で、シリアが遺体となって見つかった。彼女を殺したのは一体誰なのか?
読み終えて
前回に続き、ヒュー・ペンティコートの短編を取り上げます。
というよりも、実はこちらの短編が読みたかったのですが、まずは代表作から読んだ方がいいと思い「子供たちが消えた日」から入りました。
本作の特徴は二転三転するプロットにあり、シリア殺しの容疑者が次々と変わっていく構成となっています。
この特徴を持つ他作品として、アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』をはじめとする推理合戦ものの諸作品やコリン・デクスターの『キドリントンから消えた娘』を想起しました。
また、個人的にこれはフランスミステリの特徴だとも思っています。
先ほど挙げた特徴もあり、ジェットコースターのような勢いある展開の数々は読んでいて楽しいです。
しかし、アイデア自体は面白いものの、それを昇華できているとは言い難いのも正直なところです。
訳文は時代を考えれば読みやすいでしょうか。
ハッピーエンドというには不幸も多い話ですが、それでも明るい未来も見えるラストは後味が良いです。
半世紀以上前の雑誌に掲載されたきりなので、読むのはややハードルが高いです。
ただ、掲載雑誌の古書価格はそこまで高くないので、運良く見つけたら、ぜひご一読を。
最後に本国での発表年について。
1958年となっている日本のサイトもありましたが、『Ellery Queen’s Mystery Magazine』の毎号の内容をリスト化している海外の古書店サイトがあり、そこで1959年11月号(No.#192)と記載してあったので、この年と判断しています。
この古書店サイト面白いので気になった方は覗いてみてください。
FOR SALE – 1959 – Ellery Queen’s Mystery Magazine (ouble.com)
類似の作品として、推理合戦ものやモース警部ものの諸作品を挙げました。
これらの作品の主な流れは、探偵(たち)が推理を組み立て、それに対する否定材料が提出され、また新しい推理を組み立て……、の繰り返しです。
一方の本作は、容疑者たちが何かしらの思惑(「サムを庇いたい」や「プロクターがボロが出す瞬間を抑えるため」)から、容疑者が自身を疑わうように仕向けるというのが特徴です。
ある意味、必然的でもあるのですが、容疑者の思惑のターゲット(デヴィド→サム、サム→プロクター)が次の容疑者となるのも面白いです。
ただ、この2つの特徴が真犯人のアンには当てはまらないです。
方向が全く逆で、真犯人アンの「プロクターを救いたい」という想い(これは殺人の動機でもあります)が自供へと繋がります。
どんでん返しの「連鎖もの」であるならば、プロクターからアンへの想いという方向を取った方が一貫性があって望ましいでしょう。
また、このようなどんでん返しの連続を扱った作品ではままあることなのですが、最後に明らかになる真相のインパクトが弱く感じます。
このような点が、アイデアを昇華できていないと感じたポイントです。
書誌データ | |
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作品名 | 「あぶれ者パーティ」 |
原 題 | “The Lame Duck House Party” |
著 者 | ヒュー・ペンティコースト |
国 | アメリカ |
発 表 | 1959 |
収録書 | 『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』1961年5月 No.59 |
出版社 | 早川書房 |
翻訳者 | 井上一夫 |